名作日誌

1)今後の予定

  令和3年6月18日(金)10時半~12時半

  


2)開催済み

三島 由紀夫の「金閣寺」

★11月27日

・「第八章」

・柏木を通して認識論を展開させる。

p273、5行目から「この世界を変貌させるのは認識だ」「他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。」「この生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にはそんなもんは要らない。動物には生を耐えるという意識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない」

・『南泉斬猫』で趙州は自分の靴を頭に乗せたのは「美が認識に守られて眠るべきものだということを知っていた」ためだ。

「第九章」

p299、4行目から老師の修行の姿を見て老師に頼らず自分の意志で実行することを決める。

・「老師も自分のものではない本源的な悪や罪業に対して、それをそのまま獣の姿勢でわが身に映すほど、謙虚になっているのであろう?『私に見せているのだ!』と突然私は考えた。」

・「放火の決行に、老師の放逐などをあてにするまいと、私が思い定めたのはこの時である。老師と私は、もうお互いに影響されることのない別の世界の住人になった。」

★9月25日

・「第六章」

・鶴川の喪に1年近く服していた主人公が柏木に会いに下宿に行く。そこで南泉斬猫の話しの中で『美というものは、そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものだ。それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張する。』南泉和尚は虫歯を抜くように猫を切ったがはたして美の根は絶たれず、たとい猫は死んでも、猫の美しさは死んでいないかもしれないからだ。そこでこんな安易さを諷して、趙州はその頭に履をのせた。彼はいわば、虫歯の痛みを耐えるほかに、この解決がないことを知っていたのだ。

・柏木に生花を教えている女師匠が来る。柏木の話で主人公と鶴川が南禅寺で見た女性と分かる。女師匠と柏木が生花について口論になり、女師匠は帰るが主人公が追ってゆき、南禅寺で見たことを話す。女師匠は帯揚げを解き、南禅寺のときのように乳房を出す。しかし、主人公は何も出来ず、又そこに金閣が出現した。というよりは乳房が金閣に変貌したのである。「又もや私は人生から隔てられた!」と独言した。

・「又してもだ。金閣はどうして私を護ろうとする?頼みもしないのに、どうして私を人生から隔てようとする?なるほど金閣は、私を堕地獄から救っているのかもしれない。そうすることによって金閣は私を地獄に落ちた人間よりもっと悪い者、『誰よりも地獄の消息に通じた男』にしてくれたのだ」と「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」以上二つは第五章と同じような最後に金閣寺に火を放つ動機になっているのではないか。

★8月28日

・「第五章」

・柏木、柏木の彼女、下宿の娘と主人公の四人で亀山公園に遊びに行くが結果はみじめに終わる。『このころから微妙な変化が、私の金閣に対する感情に生じていたものと思われる。憎しみというのではないが、私の内に徐々に芽生えつつあるものと、金閣が、決して相容れない事態がいつか来るにちがいないと予感があった。』は最後に金閣寺に火を放つ動機ではないか。

・颱風が来るというので一夜の宿直に金閣が主人公に委ねられる。この二つの出来事から『私が金閣であり、金閣が私であるような状態が、可能になろうとしているのであろうか。』が主人公の望んでいた、金閣と一体化したと感じている状況が書かれている。

・もう一つは親友と目されていた鶴川の死が書かれている。

『父の死のためにも流さなかった涙を私は流した。』と『私と明るい昼の世界とをつなぐ一縷の糸が、彼の死によって絶たれてしまったということであった。私は喪われた昼、喪われた光り、喪われた夏のために泣いたのである。』までが主人公の鶴川への気持ちが書かれてある。

★7月24日

・「第四章」

・『だが、しらずしらず、などと文学的には云うまい』から始まる愛についての哲学的な文書について『世間の「愛」にかんする迷蒙を一言の下に定義することができる。それは仮象が実相にむすびつこうとする迷蒙だと。』までが柏木を通して語っている結論である。

★6月26日

・「第三章」

・戦争が終わり金閣寺は空襲に会わずに済むため主人公の精神的な変遷を描いている。

・主人公の考えが記されている。

『もし金閣が空襲をうける危険がこの先ないとすれば、さしあたり私の生甲斐は失せ、私の住んでいた世界は瓦解するのだった』

・嫌いな母親から鹿苑寺の住職に成れと言われ、主人公の考えは混乱する。

『第二の野心が重荷になると、第一の夢想ー金閣が空襲を受けることーに立ち戻り、その夢想が母のあからさまな現実判断で破られると、また第二の野心に立戻って、あまりあれこれと思いあぐねた』

・資料として

ドナルド・キーン作「思い出の作家たち」の内の三島由紀夫に関するページ

昭和25年に金閣寺と法隆寺が消失する。

 

★1月24日

・「第二章」

・文学は精神が物質を超えるいるのが最高である。

『物質というものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから手の届かないものであるかということを、死顔ほど如実に語ってくれるものはなかった。精神が、死のよってこうじて物質に変貌することで、はじめて私はそういう局面に触れ得たのだ』

・金閣については『その夏の金閣は、つぎつぎと悲報が届いて来る戦争の暗い状態を餌にして、一そういきいきと輝やいているように見えた。』と

『戦乱と不安、多くの屍と夥しい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持主が企てた建築だったのだ。』

・参加者全員で65ページ15行目「戦争中にこんなに派手な長振袖の女~第二章の最後まで」音読しました。

・資料として2点の配布がありました。

河北新報夕刊2020/1/21文学流星群 ドナルド・キーンの三島作品の本質見抜く

「現代日本文学大系60」筑摩書房刊 「小林秀雄集」金閣焼亡   

★12月27日

・「第一章」

13ページ11行目から第一章の最後まで読み進めました。

27ページ9行目「私はまた、その屋根の頂きに永い歳月を風雨にさらされてきた」から28ページ7行目「その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである」までを全員で音読しました。

金閣の屋根の鳳凰について「ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。」

金閣の建物全体については「私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。」と表現している。

次に主人公は「私が人生で最初にぶつかった難問は美ということだったと言っても過言ではない。」と言っている。

★11月22日

・「第一章」

主人公の性格を紹介している。

一つ目は「変わりやすい心情」について

「父の故郷は、光のおびただしい土地であった。しかし一年のうち、十一月十二月のころには、たとえ雲一つないように見える快晴の日にも、一日に四五へんも時雨が渡った。私の変わりやすい心情は、この土地で養われたものではないかと思われる。」

二つ目は引込試案について

「体の弱く、駆け足をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、生来の吃りが、ますます私を引込試案にした。」

三つ目は二種類の相反した権力意志を抱くについて

「私の無言だけが、あらゆる残虐を正当化するのだ。こうして日頃私をさげすむ教師や学友を片っぱしから処刑する空想をたのしむ一方、私はまた内面世界の王

者、静かな諦観にみちた大芸術家になる空想をもたのしんだ。」

・金閣について6ページ4行目「金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が描きだした金閣は、途方もないものであった。

・参加者全員で第一章の最初から13ページの10行目まで音読しました。

・資料として以下4点の配布有り

「日本現代小説大辞典」明治書院刊 金閣寺のあらすじ

「群像日本の作家18巻」小学館刊 三島由紀夫 金閣寺

「日本歴史大辞典3巻」河出書房新社刊 三島由紀夫 金閣寺

「日本近代文学大辞典3巻」講談社刊 三島由紀夫


川端 康成の「山の音」

★10月25

・「蚊の群」

信吾が絹子の所へ修一の代わりに手切れ金を払いに行くところから始まり絹子の決意も書かれている。あいまいな内に解決させていることが出てくる「相原が心中の片割れとなってから、あわてて離婚届を出したことが、娘と二人の子を引き取った形だ。修一は女と別れたにしても、どこかに子供がいることになるだろうか。二つとも解決できない解決、一時の糊塗ではないのか。」

信吾はまた夢を見るがそこにも保子の美しい姉が出てくる。

・「蛇の卵」

信吾は夜明けに長い夢を見る。白い卵が二つ並んでいて一つは大きい駝鳥の卵もう一つは小さい蛇の卵である。菊子と絹子ことを考えていたのでこのような夢を見たに違いなかった。

信吾が会社に居るときに菊子より里からの帰りと電話があり、信吾は胸にやさしいものがしみるようだった。菊子の電話の声が娘らしくきれいなせいもあるが、そればかりでもないようだった。信吾は目ぶたまで温まって、窓の外の町が急にはっきりみえてくるようだった。

・「秋の魚」

十月の朝、信吾はネクタイを結ぼうとするが結べず保子に結んでもらう。そんな時、信吾が思い出すのは大学を出て初めて背広を着た時、ネクタイを結んでくれたのは保子の美しい姉であった。

信吾は菊子に話かける「菊子は修一と別れるつもりがあるのか。」

菊子は真剣な顔になって、「もし別れましたら、お父さまにどんなお世話でもさせていただけると思いますの。」

「それは菊子の不幸だ」

「いいえ、よろこんですることに、不幸はありませんわ。」

初めて菊子の情熱の表現であるかのようで、信吾ははっとした。危険を感じた。

家族7人で夕食に鮎を食べるところから始まり、その席で「どうだね、この次の日曜にみなで田舎へもみじ見に行こうと思うだが」と信吾は言った。「菊子も行こう。わたしたちの故郷もまだ見せてなかったから」とも言う。

食事がすみ信吾が座敷をのぞいて「菊子、からす瓜がさがってきてるよ。重いからね。」と呼んだ。

瀬戸物を洗う音で聞えないようだった。

で山の音は締めくくられる。

★9月27

・「都の苑」

信吾と菊子が新宿御苑そぞろ歩きをしながら御苑の美しさやそこに来ている人達を描写して明るい雰囲気を描き出して信吾、修一、菊子が置かれている立場の暗さを強調している。

・「傷の後」

夢の娘は菊子の化身ではなかったのか。夢にもさすがに道徳が働いて、菊子の代わりに修一の友だちの妹の姿を借りたのではないか。しかも、その不倫をかくすために、苛責をごまかすために、身代わりの妹を、その娘以下の味気ない女に変えるのではないか。

もし、信吾がほしいままにゆるされ、信吾の人生が思いのままに作り直せるものなら、信吾は処女の菊子を、つまり修一と結婚する前の菊子を、愛したのではあるまいか。

その心底が抑えられ、ゆがめられて、夢にみすぼらしく現われた。信吾は夢でもそれを自分にかくし、自分をいつわろうとしたのか。

修一に女が出来たために、菊子と修一との夫婦関係は深くすすんだ。菊が堕胎をした後で、二人の夫婦なかは暖かくなごんだ。はげしい嵐の夜、菊子は常よりも濃く修一にあまえ、修一が泥酔して帰った夜、菊子は常よりもやさしく修一をゆるした。

菊子のあわれさか愚かさか。

それらのことを菊子は自覚しているだろうか。あるいはそれとさとらないで、菊子は造化の妙、生命の波に、素直にしたがっているのかもしれない。

・「雨の中」

英子から修一の女が妊娠しているときかされて、信吾はぎょっとした。

菊子は修一に女のあるうちは、子供が出来るのもくやしいというような潔癖から、産まなかったらしいが、その女の妊娠は夢にも知らなかったにちがいない。手術を信吾に知られてから、ニ三日さとへいってもどると、修一との仲むつまじくなったと見え、修一は毎日早く帰って、菊子をいたわっているようだが、それはいったなんなのだ。

善意に解釈すれば、子供を産むと言う絹子に、修一も苦しめられ、絹子から遠ざかって、菊子に詫びているのかもしれない。

しかし、なにかいまわしい頽廃と背徳の臭いが、信吾の頭にこもるようだ。いったいどこから生まれて来るのか、胎児の生命までが魔ものとも思えた。

★8月23日

・「夜の声」

夫婦というものは、おたがいの悪行を果てしなく吸い込んでしまう、不気味な沼のようでもある。絹子の修一にたいする愛や、信吾の菊子にたいする愛などもやがては修一と菊子との夫婦の沼に吸いこまれて、跡形もとどめぬだろうか。

・「春の鐘」

人間はみなに愛されているうちに消えるのが一番よいと思います。家の人たちの深い愛情に包まれ、沢山の友人、同輩、後輩の友情に抱かれて立ち去るべきだと思いました。-名のある方が養子夫妻にあてた遺書という形で紹介した。

・「鳥の家」

鳶(とび)、頬白(ほおじろ)、烏(からす)などの話を織り交ぜながら、菊子の妊娠と流産の話を進める。菊子が人工流産をしたことで、信吾は修一に「それは菊子の、半ば自殺だぞ。そうは思わんか。お前に対する抗議というよりも半ば自殺だぞ」とせまる。菊子の妊娠と流産について、保子は最後まで知らずじまいであった。

・資料として2018年の朝日新聞の木曜日版に福岡伸一の動的平衡「人文知の力忘れてないか」と2019・8・17の天声人語を紹介がありました。

・河北新報2019・8・22の持論時論に大内先生の「日本酒 献 世界一 賢治が支えた栄冠の礎」の記事の紹介がありました。

★7月26日

・「島の夢」

夢で娘を抱擁したり、面をつけた英子が可憐だったり、慈童に接吻しかかったり、あやしいことが続くのは、うちにゆらめくものがあるのかと、信吾は考えてみた。

・「冬の桜」

修一は菊子の純潔を感じなかったのか。末っ子で、ほっそりと色白の菊子の幼な顔が、信吾に浮んで来た。息子の嫁のために、息子を感覚的にも憎むのは、信吾も少し異常だと気づきながらも、自分がおさえられなかった。

保子の姉にあこがれたために、その姉が死んでから、一つ年上の保子と結婚した信吾は、そのような自分の異常が生涯の底を流れていて、菊子のためにいきどおるのだろうか。

・「朝の水」

朝、信吾が顔を洗おうとしたとき、先に来ていた菊子から洗面器の水に血がぽたぽたと落ちた。菊子の鼻血はふき出すようだったがそれは菊子の苦痛がふき出したように信吾は感じた。

・資料として2019年7月16日河北新報夕刊の文学流星群に日本文学研究家E・G・サイデンステッカーさんの川端康成についての記事が掲載されていて「紫式部に近い」との感想が述べられている。

★6月28日

・「栗に実」

「四」と「五」で鳥山の告別式に出席したときの信吾の思いが綴られている。忘却と喪失とが信吾の歩く首筋にある感じだった。「今の世で子供の結婚生活に親がどれほど責任が持てるんだ」と旧友に向かって言ってみたい、そんなつぶやきがどうしたはずみか、信吾の胸に続々と浮んだ。

修一の留守に修一の女の家へ案内してくれと信吾は英子に頼む。英子に「修一が帰ってからいっしょにいらしてはいけませんの」と言われる。修一の女の家の近くまで行くが中には入らなかった。家に帰るが菊子の顔をまともに見ることは出来なかった。

「四」と「五」を音読しました。

・資料として「日本文芸鑑賞事典18」(ぎょうせい刊)の「山の音」の紹介がありました。

★5月24日

・「栗の実」

「一」台風で葉が全て落ちてしまった公孫樹に新しい芽が出てきたことを通して信吾が菊子に抱いている思いを描いた。

「二」保子が田舎の家がぼろぼろになっている夢を見たと保子が言ったところから始まる。信吾は保子との結婚式のときに栗の実が落ちるのを目撃するなかで、信吾は保子の姉に対する憧れ。保子は姉の死後、婚家へ入って姉の後に直りたい気持ち。義兄は保子の気持ちが分かっていながら、女中代わりに使ったことなど。

「三」は房子が田舎に行っていることを知らせる電報で、修一が房子を連れ戻しに出て行った後から信吾と英子の会話から修一と付き合っている女性の話になる。

「一」から「三」まで音読しました。

・資料として「山の音」の梗概と河北新報の文学を食べるで「山の音」の落鮎の二つの紹介がありました

★4月26日

・「雲の炎」

「一」の最後に『嵐の音は向うに海が鳴っているように聞えて、その海鳴りの方が嵐の音よりも、恐ろしさを押し上げてくる感じだった。』とある文章の表現がすばらしいとの解説がありました。

「二」の「引き取ってもいいよ。」の次の『そして信吾はふと思い出したように、』が転換点になり別の話に展開していく。

「三」の『町は月の光なので、信吾は空を見た。』から始まり最後までの文章は信吾の心情は表現されていく。

「一」から「三」まで音読しました。

・新元号「令和」についての4月10日付朝日新聞の記事『「令和」ぬぐえぬ違和感』の紹介もありました。

★3月22日

・「蝉の羽」

「四」以降を音読した後、信吾の菊子に対する心情をついての解説があった。

・月刊雑誌『新潮』2019/4号

深澤晴美さんが書いた『川端康成最後の書簡「不浄」ということ』の紹介がありました。

★2月22日

・「蝉の羽」

房子が子供2人を連れて戻ってくる、房子の財布を見る見ないで保子と信吾が押し問答になり何とも家族全体がが気まずくなる。この場面を通して娘と孫2人が登場して主だったメンバーが揃う。

・信吾が保子に明け方に2度夢を見るが2度とも既に死んだ方が出てきたことを告げる。

・「蝉の羽」の「一」から「三」までを音読しました。

★1月25日

・「山の音」は川端康成の傑作であるばかりではなく、戦後の日本文学の最高峰に位するものである。一章々々が独立した短編の形を取りながら、長編を完成させている。

・題名は第一章の、信吾が深夜、裏山で得体の知れない音を聞いたという一節に基づいている。それは耳鳴りや空耳ではなく、山の音というより仕方のないものだが、その音をきいて、信吾は死期を告知されたような恐怖におそわれる。そしてこの不気味な山の音は、この作品の主調低音として、終始ひびいて来るのである。

・1968(昭和43)年にノーベル文学賞を受賞する。スェーデン・アカデミーにおいて受賞記念講演で「美しい日本の私」を日本語で行ったときの資料と50年前にノーベル文学賞を誰にするかスェーデン・アカデミーが悪戦苦闘した記事の二つの資料に基づき川端康成と「山の音」について解説がありました。

・「山の音」の「一」から「五」まで参加者全員で音読しました。


永井 荷風の「濹東綺譚」

執筆に当たっては樋口一葉の「たけくらべ」を意識しながら、同じように物語の筋のある小説というより、作中人物の生活や事件が展開する場所や背景を情味を以て克明に描き写した一種の随筆的小説である。

「たけくらべ」が明治の吉原を伝えた如く、「濹東綺譚」は玉の井という昭和の私娼窟を風物詩的に後世に伝え残そうとしたものである。


森 鷗外の「舞姫」

ドイツ留学後発表されたドイツ三部作の一つである。日本人男性とヨーロッパ人女性との心の交流(と挫折)を描く作品として、太田豊太郎の手記で「余」は、エリスと自らの閲歴をまるで一遍の演劇の様に描き出す。

雅文体(古文調、漢文調)で書かれた文章である。


泉 鏡花の「高野聖」

北陸の旅の夜、道連れの高野の旅僧が語りだしたのは、飛騨深山中で僧が経験した幻覚と恐怖、なまめかしくも魑魅魍魎にうなされ悩ませる残虐な物語。自由奔放な幻想の中に唯美ロマンの極致をみごとに描き出した鏡花の最高傑作。


正岡 子規の「病牀六尺」

結核カリエスで激痛なしに身動きできぬ病床から新聞連載「病牀六尺」を死の2日前まで続けた。「果物帖」「草加帖」を作り絵に打ち込むなど病床外への関心は目を瞠らせるものがある。俳句、短歌の革新と写生文による文章革新があった。


中 勘助の「銀の匙」

なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣から見つけた銀の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を自伝風に綴った作品。

夏目漱石がこの作品を認め推薦することで、朝日新聞へ掲載されることになる。


樋口 一葉の「にごりえ・たけくらべ」

酌婦の身を嘆きつつ日を送る菊の井のお力のはかない生涯を描いた「にごりえ」。東京の下町を舞台に、思春期の少年少女の姿を描く「たけくらべ」。

一葉の代表作を読み明治の女流文学にふれる。


島崎 藤村の「千曲川のスケッチ」

藤村が信州小諸で教員として六年間を過ごしたおり、千曲川にのぞむ地の人びとの暮らしや自然を詩情豊かに描いた。