名作日誌


1)今後の予定

  5月24日(金)10時30分~

  川端 康成の「山の音」

2)開催済み

川端 康成の「山の音」

★4月26日

・「雲の炎」

「一」の最後に『嵐の音は向うに海が鳴っているように聞えて、その海鳴りの方が嵐の音よりも、恐ろしさを押し上げてくる感じだった。』とある文章の表現がすばらしいとの解説がありました。

「二」の「引き取ってもいいよ。」の次の『そして信吾はふと思い出したように、』が転換点になり別の話に展開していく。

「三」の『町は月の光なので、信吾は空を見た。』から始まり最後までの文章は信吾の心情は表現されていく。

「一」から「三」まで音読しました。

新元号「令和」についての4月10日付朝日新聞の記事『「令和」ぬぐえぬ違和感』の紹介もありました。

★3月22日

・「蝉の羽」

「四」以降を音読した後、信吾の菊子に対する心情をついての解説があった。

・月刊雑誌『新潮』2019/4号

深澤晴美さんが書いた『川端康成最後の書簡「不浄」ということ』の紹介がありました。

★2月22日

・「蝉の羽」

房子が子供2人を連れて戻ってくる、房子の財布を見る見ないで保子と信吾が押し問答になり何とも家族全体がが気まずくなる。この場面を通して娘と孫2人が登場して主だったメンバーが揃う。

・信吾が保子に明け方に2度夢を見るが2度とも既に死んだ方が出てきたことを告げる。

・「蝉の羽」の「一」から「三」までを音読しました。

★1月25日

・「山の音」は川端康成の傑作であるばかりではなく、戦後の日本文学の最高峰に位するものである。一章々々が独立した短編の形を取りながら、長編を完成させている。

・題名は第一章の、信吾が深夜、裏山で得体の知れない音を聞いたという一節に基づいている。それは耳鳴りや空耳ではなく、山の音というより仕方のないものだが、その音をきいて、信吾は死期を告知されたような恐怖におそわれる。そしてこの不気味な山の音は、この作品の主調低音として、終始ひびいて来るのである。

・1968(昭和43)年にノーベル文学賞を受賞する。スェーデン・アカデミーにおいて受賞記念講演で「美しい日本の私」を日本語で行ったときの資料と50年前にノーベル文学賞を誰にするかスェーデン・アカデミーが悪戦苦闘した記事の二つの資料に基づき川端康成と「山の音」について解説がありました。

・「山の音」の「一」から「五」まで参加者全員で音読しました。


永井 荷風の「濹東綺譚」

執筆に当たっては樋口一葉の「たけくらべ」を意識しながら、同じように物語の筋のある小説というより、作中人物の生活や事件が展開する場所や背景を情味を以て克明に描き写した一種の随筆的小説である。

「たけくらべ」が明治の吉原を伝えた如く、「濹東綺譚」は玉の井という昭和の私娼窟を風物詩的に後世に伝え残そうとしたものである。


森 鷗外の「舞姫」

ドイツ留学後発表されたドイツ三部作の一つである。日本人男性とヨーロッパ人女性との心の交流(と挫折)を描く作品として、太田豊太郎の手記で「余」は、エリスと自らの閲歴をまるで一遍の演劇の様に描き出す。

雅文体(古文調、漢文調)で書かれた文章である。


泉 鏡花の「高野聖」

北陸の旅の夜、道連れの高野の旅僧が語りだしたのは、飛騨深山中で僧が経験した幻覚と恐怖、なまめかしくも魑魅魍魎にうなされ悩ませる残虐な物語。自由奔放な幻想の中に唯美ロマンの極致をみごとに描き出した鏡花の最高傑作。


正岡 子規の「病牀六尺」

結核カリエスで激痛なしに身動きできぬ病床から新聞連載「病牀六尺」を死の2日前まで続けた。「果物帖」「草加帖」を作り絵に打ち込むなど病床外への関心は目を瞠らせるものがある。俳句、短歌の革新と写生文による文章革新があった。


中 勘助の「銀の匙」

なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣から見つけた銀の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を自伝風に綴った作品。

夏目漱石がこの作品を認め推薦することで、朝日新聞へ掲載されることになる。


樋口 一葉の「にごりえ・たけくらべ」

酌婦の身を嘆きつつ日を送る菊の井のお力のはかない生涯を描いた「にごりえ」。東京の下町を舞台に、思春期の少年少女の姿を描く「たけくらべ」。

一葉の代表作を読み明治の女流文学にふれる。


島崎 藤村の「千曲川のスケッチ」

藤村が信州小諸で教員として六年間を過ごしたおり、千曲川にのぞむ地の人びとの暮らしや自然を詩情豊かに描いた。